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東京高等裁判所 昭和32年(ネ)187号 判決

控訴人 (附帯被控訴人) 岩下辰蔵

被控訴人 (附帯控訴人) 日下部トク

主文

本件控訴を棄却する。

原判決中被控訴人敗訴の部分を取消す。

控訴人は被控訴人に対し、金一〇万円およびこれに対する昭和二七年六月一五日から右金員の完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人、その二を控訴人の負担とする。

この判決の第三項は、被控訴人において金二万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

(一)  当裁判所は、本件当事者間に争ないところと証拠とにより、左記の事実を確定する。

(1)  被控訴人(附帯控訴人、以下原告という)は、昭和三年中生家の経営する料理飮食店に顧客として出入していた控訴人(附帯被控訴人、以下被告という)と知り合い、間もなく肉体関係を生じ同四年八月頃には両親の諒解をえて熊谷市内に一戸を構え、同棲生活を始めるに至つた。ところで、被告には当時すでに妻子があつたが、原告はその事実を知らず、かえつて被告を独身者と思いかつ将来結婚するとの被告の言を信じ肉体交渉をもつたのであつた。しかし、原告は間もなく被告に妻子のある事実を知り、将来のため被告との関係を断とうと考え一時別れたこともあつたが、被告はしつこく原告につきまとい、妻とは事情があつて近く別れるなど甘言をもつて誘つたので、原告もずるずる同棲生活に逆戻りして了つた。やがて二人は、同八年七月中カフェーを開業し、同一八年頃戦争による企業整備のため、廃業の後は、被告の実家の家業である葬儀屋業を手伝い、次いで二人がこれを主宰することとなつたが、その間原告はこれらの営業の性質上常にその中心となつて働き、一方被告は昭和九年頃以降数回熊谷市会議員に当選しまた青年団長、町内会長をも勤める等対外活動に熱心で必ずしも家業に専心しなかつたので、原告が二人の共同生活の維持のため寄与したところは少なからぬものがあつた。

(2)  被告の妻とくは昭和一一年九月八日死亡した。

それまでにも被告はほとんど妻子の許に寄りつかず、いわば妾である原告との同棲生活を続けていたが、妻死亡後は原被告の共同生活は世間一般の夫婦関係と何ら異るところがなくなつたので、原告は被告に対ししばしば入籍を求めたところ被告はこれを承諾し婚姻を約したが、種々口実をかまえてついにこれを履行するに至らなかつたものである。

(3)  原告には被告との関係を生ずる前一時内縁の夫婦関係を結んだことのある某男との間にもうけた一子和幸があり、被告との同棲後はこれを手許で養育してきたが、同人と被告との折合が悪く、昭和二六年一一月中たまたま同人についての些細な事がらに端を発して原被告間に感情の衝突を生じ、原告が家出した和幸を探して数日間家を明けたところ、被告はその機をとらえて原告の帰宅を拒み、その後再三第三者を介して復縁を求めたにかかわらず被告はついに応じなかつたばかりでなく、昭和三〇年中他の婦人と内縁関係を結んだので、原被告が婚姻届をすることはついに不可能となつたのはもちろん、共同生活を旧に復する望さえも全く失われるに至つたものである。

(二)  (証拠関係――略)

(三)  以上(1)ないし(3)の事実に照し、原告が被告に対し慰藉料請求権を有するかどうかにつき考えてみる。

原告が被告と肉体関係をもつに至つたのは、被告を独身者と信じ将来結婚する旨の被告の甘言に誘われてのことであつたとはいえ、被告には当時妻があつたのであるから(しかも原告は間もなくその事実を知つたのである)、少くとも被告の妻が死亡するまでの関係については、原告はあえて法律上の保護を期待しえなかつたものと認めざるをえない。しかしながら、昭和一一年九月八日被告の妻が死亡した後両者の関係は、事実上の夫婦関係に外ならず、かつ原被告が進んで婚姻の届出をし適式な婚姻をするのに何の妨げもなかつたのであつて、現に原告はそのことを切望し被告にしばしばその希望を訴え、被告もこれを承諾して事実上の夫婦関係を継続したのであるから、原被告の右の関係はいわゆる婚姻予約関係として正に法律上の保護に値したものというべきである。しかるに被告は、何ら正当の事由なくして右婚姻の予約を履行せず放置したばかりか、原告にさしたる落度のあつた事実が認められないにもかかわらず、ほしいままに多年にわたる事実上の夫婦関係を絶止し、婚姻届をすることをも不可能ならしめたのである。しかも原告は、当時すでに年令四〇才を超え今更他に嫁する望みもほとんど失われていたのであるから、被告の右の行為により原告が少なからぬ精神上の損害を被つたことはみやすいところであつて、被告はこれを賠償するため相当の慰藉料を支払う義務があるものといわなければならない。

(四)  次に慰藉料の額につき考察する。

以上認定の諸般の事実と原審における原告本人の供述によつて認められる被告が居住家屋を含めて家屋二棟を所有し、数十万円の貯金を有する外、葬儀屋業造花業等により約六〇万円の年収がある事実、一方原告は何ら資産とてなく自ら働きつつ僅かの給料により辛うじて生計を維持している状況にある事実等を参酌すれば、被告の原告に支払うべき慰藉料の額は金一〇万円を相当と認める。

(五)  以上の次第であるから、原告の本訴請求は、金一〇万円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和二七年六月一五日から右金員の完済に至るまで法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべきであるが、その余は理由がないものとしてこれを棄却すべきである。

それゆえ、被告の控訴理由がないからこれを棄却し、原告の附帯控訴は一部理由があるから原判決をその限度において変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺葆 裁判官 牧野威夫 裁判官 青山義武)

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